前回まで。
ルーディック誤謬とドメイン依存性
どちらもタレブの著作で出てくる言葉。
「Ludic」はラテン語で「ゲームに関連する」という意味。『ブラック・スワン』で述べられている誤謬は、人生を明確なルールを持つゲーム(または形式的な設定)に似せてしまうことについてである。その逆は少ない。ドメイン依存性とは、人がある環境(例えばジム)では特定の行動をし、別の環境では別の行動をすること
- ルーディック誤謬 → 現実を「ゲームのように」単純化しすぎる誤り。
- ドメイン依存性 → 学んだ知識を「別の文脈」に活かせない認知的な限界。
誰かを物理的に殴れば運動になりストレスも解消されるが、インターネットで口頭で侮辱すれば、自分自身を傷つけるだけだ。
ネットの喧嘩ほど醜いものはないですね。だからって殴るのはダメですけど。
滑らかな表面、競技スポーツ、専門的な仕事は、心身を化石化させ、競争的な学問は魂を化石化させる。
生きた動き、知識ではなくルールに閉じ込められたものに慣れてしまうことへの警鐘。
チェスの訓練はチェスの技能しか向上させないことには同意するが、授業の訓練は(ほぼ)授業の技能しか向上させないことには異論がある。
学校での知識が学校でしか役立たないことが、多くの人には理解ができない。
認識論と減算的知識
知識とは加算的ではなく減算的なものだ──「何をすべきか」ではなく、「何をすべきでないか」「何がうまくいかないか」を取り除くことで得られる。
減算的知識とは知っていることを増やすのではなく、誤った知識を取り除くことを重視する。
不確実な現実の中では間違いを犯せば一発退場もありうるが故に、間違いを排除する知識の方が実用的である。
自分の基準(アンカー)を「起こったこと」ではなく「起こらなかったこと」に置き換えよ。
結果だけを見るのではなく、起こりうる結果を考慮しないと意味がない。
特に人は見えるものを重視しがちなので気をつけねば。
幸福──それが何を意味するのか、どう測定するのか、どう達成するのかは分からない。しかし、不幸を避ける方法については驚くほどよく分かっている。
幸福になる方法は人それぞれ。不幸になる方法はみんな一緒。
理想的な三学科(トリウィウム)教育、そして社会や生徒にとって最も害の少ないものは、数学・論理学・ラテン語である。
数学によって失われる深い叡智を補うため、ラテン語の著作を二倍量学び、言葉やレトリックを制御するのに必要最小限の数学と論理を習得する。
三学科(トリウィウム)教育とは中世ヨーロッパの教育の基盤になった三科目の呼び名。
タレブは現代の学校教育の中でまだマシな三科目を選んでいる。
数学、論理学は厳密さをくれるが、曖昧さや直感を軽視してしまう。ラテン語(古典)を通じて人の言語のニュアンスを学ぶと、厳密さだけではなく柔軟さも身につけられる。
おそらくそういった意味合い。
続きはまた次回!
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