ランダム性に騙されて、美学 ーThe Bed of Procrustes⑦ー

前回まで。

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ランダム性に騙されて

自分の環境を操作しない限り、私たちは自分が何を、誰を考えるかを、心臓の筋肉を制御するのと同じくらいしか制御できない。

 人間は周りの人や住んでる場所に多大に影響を受けるのです。


愚か者は自分を特別と思い、他人を凡庸と見なす。賢者は自分を凡庸と見なし、他人を特別と見なす。

わたしは凡庸。


 医学が長い間人々を欺いてきたのは、成功が誇らしげに掲示され、失敗は(文字通り)埋葬されてきたからだ。

 死人に口なしてわけ。


ジャーナリストは「面白いこと=重要なこと」ではないと理解できない。多くは「センセーショナルなこと=面白いこと」でもないとすら理解できない。

自分に関係ないことばかりだわ。


言い換えれば、すべての人間は常に「確率における平等」(私たちが制御できる)を持つべきであり、「結果における平等」ではない。

誰かが不平等に結果を捻じ曲げられるなんて理不尽だわ。


 美学

芸術とは、観察されないものとの一方通行の会話である。

観察されないということはデータにできないということかな?


 私たちは不完全さを愛している――ただし「正しい種類の不完全さ」だ。

オリジナルのアートや、誤字のある初版本に高い金を払うのはそのためだ。

完璧なんてつまらない。

あなたの「沈黙」は、技術的に語る能力があって初めて、情報として意味を持つ。

語る能力がある人が語らないということは?


続きは次回! 

 

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