前回まで。
偶然、成功、幸福、そしてストア主義
成功の反対は失敗ではなく、有名人の名前をちらつかせることだ。
虎の威を借るなんとやら。
人間の本性をよく示しているのは、自殺の多くが病気の診断よりも、恥や財政的・社会的地位の喪失によって起こっているという事実だ。
社会的な死が生物的な死を招くとは。。
社会的動物てわけか。
「天才」から学ぼうとしてその仕事ぶりや知的習慣を研究するのは、料理を真似しようとして料理人の服装を研究するようなものだ。
形から入っても意味なし。
「裕福である」というのは意味がなく、絶対的な指標ではない。代わりに「非裕福度(unwealth)」という差異の概念、すなわち、現時点で自分が持っているものと、欲しいと思っているものとの差を使うべきだ。
自分が欲しいものを持っているということが裕福であるのだと。
中年の男が大学時代の成績を自慢しているのは、失敗の最も明白な兆候である。
過去の栄光に縋らなきゃいけないなんて。
カール・マルクスは先見の明を持ち、奴隷に「従業員だ」と信じ込ませれば、はるかに効果的に支配できると見抜いた。
こうして世の中は回っている。
「忙しい」と言う人は、無能(と人生を制御できていないこと)を表明しているか、あなたを追い払おうとしているかのどちらかだ。
忙しいなんて言わないわ。
愛と幸福の違いはこうだ:「愛」を語る人はたいてい愛しているが、「幸福」を語る人はたいてい幸せではない。
幸福を語る奴はきつい奴が多い。
人はロールモデル(手本)に注目するが、実は「アンチモデル(こうはなりたくない人)」を探すほうが効果的だ。
逆にロールモデルはいないなぁ。
私たちが一般に「成功」と呼ぶもの(報酬、地位、承認、新しい指標)は、幸せでもなく、能力もない人への慰め賞にすぎない。
そんなこと言わないで。
続きはまた次回!
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