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人にとっては文脈も大事
- 薬の有効性の研究でその研究が薬を作っている会社であれば、怪しいと考えられてしまうのはしかたない
- 利益相反の関係にある
- 何が誤謬につながるのか
- 命題に関する文脈が信憑性に影響を与えるであろう理由を説明できるという点
- 誤謬の場合は理由を示せていない
論理の弱さ
論より証拠である
- 論理は前提を真と仮定している
- まだ真かわからないことは確かめなければいけない
- 論理的命題と経験的命題は根本的に異なる
- 事実を確かめるには机で考えるのではなく見に行かなければいけない
論理は文脈や予備知識を見ない
- 並べられた記号と配列のみに目を向け、内容の妥当性などは無視される
- 論理の推論には周辺の知識が必要ない
- 現実的にこれは合理的ではない
何事も白黒をつけることはできない
- あらゆる概念を必要条件と十分条件で定義できるか?
- ある整数を余りを出さずに2で割ることができるならば、それは偶数であり、その逆もまたしかりである。
- 偶数であるのならば、2で割っても余りが出ない
- ゲームをこれで定義できる?
- 条件がありすぎて無理
- 人間の概念の多くは異なるサブカテゴリーがある
- 家族的類似性
- 全員が全く一緒ではなく、異なるメンバーの間に共通点がある
- なんでも白黒で定義できるような概念は現実にはあまりない
家族的類似性について
”家族的類似性そのものは理解がむずかしい概念ではない。たとえば、父がいて、母がいて、息子がいて、娘がいたとする。父と息子は背恰好が似ている。父と娘は目もとが似ている。母と息子は口もとが似ている。母と娘は話しかたが似ている。彼らはそれぞれ似ていて、あきらかに同じ家族だとわかる。けれども全員に共通の特徴を取り出すことはできない。そういうことはよくある。これが家族的類似性である”
参考:人はどこまで合理的か 上
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