最近読んだ不快の科学という有料記事がめっさ面白かった。
ざっくり現代の快適な生活が人間にとって毒になっているのだという内容です。
僕もそこに問題意識がありこのブログでも何度か上がっているテーマですね。
特にデジタルとの付き合い方を考えていましたが、紹介する記事ではそれ以外の全般的な部分にも触れられていてとても参考になりました。
てなわけでためになった点をまとめていく。
快適な生活が毒になるわけ
良性のマゾヒズム
- 不快の後の快楽はより気持ちよく感じる
- 人間が進化してきた環境では不快なものが多く存在した
- 猛獣の襲撃、飢えや暑さなどなど
- これらを乗り越えるために苦難の先に報酬があるのだという心理が進化してきた
- 苦難を乗り越えた先にあるものほど価値があると人の脳は判断する
- 快楽だけを追い求めても慣れてしまう
- 本当の楽しさを感じたければ苦痛を避けては通れない
空腹があるから食べ物がおいしくなり、疲労があるから休みが心地よく、失敗を繰り返すから成功が嬉しい。
不快を避けてもその先には虚しさしかないのだと。
快適な生活の代償
- 不快な体験
- 例えばきつい運動、空腹、ぼーっとする退屈な時間、寒さなどなど
- 人はなるべく楽に効率的にしようとするあまり不快な体験を避けようとする
- 快適な環境に慣れていくと人の体、心の機能はどんどん弱まる
- 快適さの代償
- 肥満、生活習慣病:食べ物が手に入りやすく、美味しく食べやすい
- うつ、不安、依存症:退屈への耐性がなくすぐ何かの行動に依存
- 免疫と痛みの過敏化:清潔すぎる環境ではアレルギーなどが増加、ストレス耐性がない
人間の体は不快があることが前提の環境に適応しているので、適切な不快がないと心身が弱っていくのです。
なかなか面倒な生き物ですねぇ。
不快への耐性がなくなるとどうなるか
- 不快さへの耐性がなくなると
- 座れないだけでイライラする
- 気温の変化がつらい
- Webページの読み込みが待てない
- 旅行先で電波がないとストレス
- コンフォート・クリープ:快適さが基準となって以前の基準に戻れなくなる
- 生活水準を一度あげてしまうと元には戻るのは考えられない
- 今ある基準が最低基準になってしまう
- 快楽は麻薬であり追い続けるほど抜け出せなくなる
- 快適になる程、不快が大きく見える
快適さと不快さのバランスを考えねばならんということですね。
快適さ=良いことではない。
この記事では具体的に生活に不快さを取り入れる方法を具体的に買いています。
例えば以下の通り。
- 退屈
- 飢餓
- 死の意識
- 重りを背負う
- ミソギ
次回は具体的に僕が自分の生活に取り入れたい不快をまとめていこうと思います!
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