セネカに学ぶ自分の時間を無駄にしない生き方

最近はもっと古典を読もうと思っております。

ストア派の人たちの中でも特に有名なセネカの本。

人生の短さについて 他2篇 (古典新訳文庫) 


セネカについてはWikiによくまとめられていますね。


紀元前に生まれた人であろうと同じような悩みや、今書いてある本とほぼ同じ内容が書いてあるのが面白い。

時代は変われど人は変わらないとはよく言いますが、それを感じられて少し感動しました。


今回は時間の使い方のアドバイスを見ていきましょう!


自分で人生を無駄にしている

われわれは、短い人生を授かったのではない。われわれが、人生を短くしているのだ。われわれは、人生に不足などしていない。われわれが、人生を浪費しているのだ。

自分の時間の使い方を正せば、人生は決して短いものではないのだと。

なんの目的もなく快楽に耽ったり、他者のために身をすり減らしたり、過ぎたことを悩み、まだ起きていないことに思いを馳せる。これでは生きているとは言えず時間が過ぎているだけである。

そのうち運命の不意打ちを喰らっておしまい。


いったい、どうしてこんなことになってしまうのだろう。それは、あなたたちが、まるで永遠に生きられるかのように生きているからだ。あなたたちが、自分の脆さにいつまでも気づかないからだ。

人生は計画通りにいかないのに、いつかや引退したらのような願望を持つのは馬鹿げている。

いつだって黒い白鳥がやってきて、人生を終わらせるかもしれないのに、今の自分を蔑ろにして生きるのはリスクが高い。


ここで、最悪の事例の一つとして、酒と性に関することにしか時間を使おうとしない連中に触れておきたい。なぜなら、これほど恥ずべき時間の使い方をしている者はいないからだ。

(辛辣すぎんか。。)

自らの飽くなき欲望を満たすために、とても長い時間を費やしている。

食欲や性欲の奴隷に成り果てている。

そのためだけに多忙を極め、多忙は生きることを知るのを妨げる。


しかし、すべての時間を自分のためだけに使う人、毎日を人生最後の日のように生きる人は、明日を待ち望むことも、明日を恐れることもない。

いつだって今日を生きるしかないし、、明日の保証をしてくれるものは何もない。

であれば、今できることを精一杯やるしかないし、それ以外は運命に身を委ねるのみ。

時間は静かに去っていき、誰も後で返してくれない。


あなたは、どこを見ているのか。あなたは、どこを目指しているのか。これからやってくることは、みな不確かではないか。今すぐ生きなさい。

自分が本当に求めていることは今すぐやるのだ。

将来の計画によって先延ばしを行うのは、人生最大の損失であるのだ。

終着点に近づいて気づくようでは遅いのである。


われわれが過ごしている現在は短く、過ごすであろう未来は不確かであり、過ごしてきた過去は確かである。過去が確かであるのは、そこには運命の力が及ばず、誰の自由にもできないからだ。

 過去だけはあらゆる影響を受けず自分の中に確かに存在し続ける。

多忙な人は過去を振り返ることもない。とめどない現在に翻弄されている。

 

すべての人間の中で、閑暇な人と言えるのは、英知を手にするために時間を使う人だけだ。そのような人だけが、生きているといえる。

過去に偉人が積み上げてきたものから学ぶことで、より良い人生を歩む術を学べる。

これまで紡がれてきた英知は過去に存在して、それに全霊を持って向き合うべきである。

 

多忙な人はみな惨めな状態にある。その中でもとりわけ惨めなのは、他人のためにあくせくと苦労している連中だ。彼らは、他人が眠るのにあわせて眠り、他人が歩くのにあわせて歩く。誰をすいて誰を嫌うかという、何よりも自由であるはずの事柄でさえ、他人の言いなりにならなければならない。


古代から時間の悩みは尽きないものなのですね。


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