後悔や燃え尽きと哲学

少し前に読んだ記事が面白かったので紹介する。

「中年の危機」には哲学が効く DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文


筆者のキーラン・セティヤも夢見たキャリアを手にしているのに、陳腐な人生や過去の選ばなかった人生に対する後悔や喪失感、満たされない感覚に苦しめられるようになった。そこで彼は自分の専門分野である哲学の力を借りて、この気持ちに折り合いをつけた。人はなぜ後悔するのか、誤った選択をしたと感じた時どう考えるべきか。また満たされない感覚を解消するにはどうすればいいだろうか。


まだまだ中年では無いですが、いずれ来る時期の話を聞いておくのも一興。

哲学者が自分の中年の危機に対してどう折り合いをつけているのか。

やはり当事者の話には重みがあって面白い。


後悔や燃え尽きに対する処方箋

夢見たキャリアを送っているにも関わらず、陳腐な人生だと感じていたセティヤ。

自分が好きなものを仕事にしていたのにも関わらず、これからも続く仕事に嫌気がさし始めていた。


若い頃は何も持ってなく、得るものばかりなので達成していく感覚が楽しいのでしょうが、キャリアの後半になるにつれてお金や地位が上がっていき、目新しいものものなくなるとルーチンのように思えてくるのでしょうか。

目的と価値観の違いも関わっていそうですね。


歳を重ねるにつれて可能性は薄れ、選択肢は狭まり、過去の決定が私たちの上に限界を形成していく。 自分が決して送ることのない人生というものを知り、喪失感に苛まれるのは、中年期であることが多い。

一息つこうと立ち止まった時、かつて望んだことの多くを、自分は決して果たすことはないだろうと気づいたのである。 

限りある人生の使い方人生は20代で決まるなどでも書かれていますが、特に若い頃はなんでもできる気がして、無理にたくさんやろうとしたり、何かに専念するのを嫌ったりしますね。

とても身に覚えがある。


この後悔に対して哲学が役立つのだと。

まず後悔に対する思い込みを変えることから始める。


後悔とは間違った選択のみに発生するものではなく、成功した後でさえ生じる可能性はある

他の道を選んでいたらという思いは、成功した後でも残る。

これは、あなたがいろいろな選択に価値を見出していることを表している。後悔したくなければ、一つのもの一つの尺度に拘り続けるしかない。けれど、そんな人生は貧しいものである。


明らかに間違ってしまった際の後悔もある。間違った選択、お金だけを求めてなんの魅力もない仕事を選んでしまったことなど。

過去の選択を変えることはできないし、いくら考えても後悔の念が増すのみ。

しかし、選択をしたことで出会った人などはその選択がなければ出会っていなかったことになる。

今ある自分が愛着を持っているものに対して意識を向けることが、この種の公開の処方箋となる。


後悔はなくとも現在に満たされない思いを持っていることはある。

目標の達成を求めていると、現在が虚しく感じてくる。

目標とは本質的に達成を目指すものであり、常に未来か過去に存在する。

達成した未来を目指し、達成したら過去のものとなる。


これに対しては未完了相の活動を行うのが良い。

目標を内在しない、し終わることがないような活動を指す。(価値観だね)

つまり、それをやること自体に価値があると感じられる活動を行う。


僕も最近、タレブの著作を全て読み終わって少し燃え尽きのようになっていました。

なんだかんだそれでも本を読んでしまう。

読むとなんだかんだ楽しい。

何かのためでなく、本を読むために本を読む。

仕事だとそうはいかないことも多いでしょうが、お金も関わるとどうしても不純なモチベになる。

成果ではなくプロセスを楽しめるような活動を見つけて増やしていくのが良さそうです。



 

コメント